1

牧野富太郎と大月町

 牧野富太郎は、文久2年(1862年)4月24日高知県高岡郡佐川町の裕福な商家に生まれた。そのひと月前の3月24日には坂本龍馬が土佐を脱藩するなど、まさに幕末の激動の時代に産声をあげたのである。生まれつき植物が好きで、ひとり裏山で草木と遊ぶ少年・富太郎は、明治維新後、新生日本の夜明けとともに文明開化の激流を体感しながら、植物学の道をまい進していった。

 明治14年(1881年)4月、19歳になった富太郎は、第2回内国勧業博覧会を見物するため勇躍上京する。この旅行で顕微鏡や多くの書籍の購入、日光・箱根・伊吹山等での植物採集を行った。また、当時の著名な博物学者に面会し、新しい知識を得るなどして見聞を広めた富太郎は、一生を植物研究に捧げようと固く決心をする。

 帰郷した富太郎は、「日本中の植物を調べるためにも、まずは高知県の植物を調べあげよう」と考え、すぐさま高知県幡多郡への植物採集の旅にでる。9月9日に佐川を出発し、須崎~窪川~中村~宿毛を通り、15日に大月町弘見に到着、その足で柏島に渡る。柏島では初めて出会う草木に目を見はり一週間ほど滞在して島内をくまなく探索するなど長期間の遠征後、10月27日に帰郷している。その後、明治18年(1885年)及び明治22年(1889年)にも幡多地区へ植物採集に出かけている。この幡多地区への三度にわたる“写生と観察”による実地を基本とする採集旅行が、富太郎の鋭い観察眼を養い、植物分類学の基礎を培っていった。この経験は、生涯にわたり数多くの新種を発見し、命名した植物1,500種類以上、40万枚もの植物標本を集めた、わが国の「植物分類学の父」と呼ばれる牧野富太郎の原点であるとも言える。